おはようございます。
早朝に寝台特急日本海で富山駅に着き、しばらく待合所でハガキ書きをしたあと、ドトールが開店したのでコーヒーを飲んでいます。
昨日、山形県酒田市で、市内観光かねがね分かりやすい仏教誌のチラシ配りをしてから、県境を越えて秋田県由利本荘市に向かいました。もちろん途中に象潟(きさがた)の温泉に寄りましたが…^^。
15〜17日に富山で講義や研修があり、18日には秋田県大仙市での活動予定なので、位置関係からして由利本荘市に車を置いておくのが一番と考えたからです。
HPで調べると、寝台特急も停車する羽後本荘駅には新潟以西に行く人には無料で駐車場を開放しているとのこと。「予約が必要です」と小さい字で書いてあるのが気になり、早目に羽後本荘駅に着いて駅員に尋ねると、なんと満車!(爆)
中川家の弟の方(お兄ちゃんに比べて身体が大きくて丸顔の方)がネタでやる駅員みたいな風貌の駅員からそう告げられ(笑)、大変困りましたが、いつも見ていた東北旅行ガイドブックに、JRの駅と道の駅と温泉宿が一緒になっているところが載っていたことを思い出し、見てみると羽後本荘駅のひとつ手前の羽後岩谷駅(道の駅おおうち)であることが分かりました。
さっそく道の駅(温泉宿)に電話。
事情を話して、しばらく駐車できないか尋ねると、快く承諾(もちろん無料)してくれました。(助かったぁ^^;)
道の駅ですから無料で駐車するのはかまいませんが、3日間も4日間も停めっぱなしにしておくと「なんだこの車」と思われて、警察に通報されたら困りますので、ナンバーと私の携帯番号を知らせておきました。
JR時刻表を調べると、23:08羽後本荘駅を出発する日本海に連絡するちょうどよい列車が、羽後岩谷駅を22:54に出ることになっています。
22:30ごろに道の駅に着き、車内を整理して車上荒らしにあわないようにしてから、ホームに向かいました。
羽後岩谷駅は無人駅。駅は真っ暗。
時間が時間なので、道の駅にもホームにも人一人ありません。
本当に列車が来るのだろうか、という疑念いっぱいで、なんども時刻表を見返しました。(ほら、よく土休日運休ってありますよね。昨日は日曜日でしたから、余計に心配になりました)
しかも、22:50くらいになっても、まったく列車の近付く気配がしません。
51分、52分、漆黒の静寂の中、狂おしいほどの時間が過ぎていきます。。。
53分、54分、ついに列車は来ません!
えええっ!どうするの!?
55分になっても来ないんです!(汗)
今さら車で羽後本荘駅にも間に合わない。これから富山まで車で走るしかないのか。。。
そう思ってあきらめかけた56分、遠くからライトが見えて、踏切の音が聞こえてきました。
おそいよー!(怒)
わずか一駅、数分で羽後本荘駅に到着して、無事、日本海に乗り換えました。
このところ三泊連続車中だったので、ようやく足を伸ばして寝ることができて嬉しかったです☆
さて、自分の話が長くなってしまいましたが、仏教の話に戻します。
無明の闇が晴れると、どんな人生になるか、親鸞聖人はこのように述べておられます。
〜ここから〜
◎シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、煩悩(苦しみ)一杯が、功徳(幸せ)一杯となる
無明が晴れた聖人には、知らされた煩悩一杯が、「恥ずべし、傷むべし」の懺悔となり、そのままが「よろこばしきかな……慶喜いよいよいたり」の歓喜となっている。苦悩がそのまま歓喜となる煩悩即菩提の不思議さを、つぎのようなたとえで説かれている。
罪障功徳の体となる
氷と水のごとくにて
氷多きに水多し
障り多きに徳多し(『高僧和讃』)
「無明の闇が破れると、欲や怒りの煩悩(罪障)の氷が解けて、幸せ喜ぶ菩提の水(功徳の体)となる。大きな氷ほど解けた水が多いように、極悪最下の親鸞こそが、極善無上の幸せ者だ」
シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、煩悩(苦しみ)一杯が功徳(幸せ)一杯となる、すごい確信に満ちている。
主上・臣下、法にそむき義に違し、忿を成し、怨をむすぶ(『教行信証』)
「天皇から家臣にいたるまで、仏法に反逆し正義を踏みにじり、怒りにまかせて大罪を犯す。ああ、なんたる暴挙ぞ」
聖人三十五歳、権力者の横暴で、越後流刑になったときの激怒である。
それがどうだろう。
大師聖人(法然上人)、もし流刑に処せられたまわずば、われまた配所におもむかんや。もしわれ配所におもむかずんば、何によりてか辺鄙の群類を化せん。これなお師教の恩致なり(『御伝鈔』)
「法然上人が、もし流刑にあわれなかったら、親鸞もまた。流罪にならなかったであろう。もし私が流刑にあわなければ、越後の人々に人生の目的、伝えられなかったにちがいない。なんとありがたいことだったのか。すべては法然上人のおかげである」
嘆き多きに歌声高し。苦悩がそのまま歓喜と変わる「転悪成善」(悪が、そのまま善となる)「煩悩即菩提」(煩悩が、そのまま菩提となる)の大信海不思議の実証であろう。
ふかく如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚をあおぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。(中略)ただ、仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず(『教行信証』)
「どうして、こんな幸せに救い摂られたのか。よろこばずにおれない。感謝せずにいられない。ますます如来の深き慈愛を知らされて、どんなに、けなされ罵られようとも、前進せずにおられない」
押し寄せる嘲笑、罵倒、弾圧などが、大きければ大きいほど、如来への報恩感謝のよろこびも大きく、九十年の生涯、たくましい生きざまと転じている。
「衆禍の波、転ず」(苦しみが、よろこびに転じ変わる)
とほほえまれる聖人が、輝きをもって迫ってくるのである。
〜ここまで〜
シブ柿って、シブが多いほど、お酒につけたり干したりすると甘くなるの知ってました?
渋味成分が甘味になるそうです。